目標から外されたサダム像2003年5月13日(火)「武器よさらば」コリン・パウエル 現在、アメリカ合衆国の国務長官であるコリン・パウエル が1995年に発表した自伝『マイ・アメリカン・ジャー ニー』。パウエルは、この自伝で、ジャマイカ系移民の子 としてニューヨークのサウスブロンクスに育った自分が、 ニューヨーク市立大学の予備将校訓練部隊で、自分のすす むべき道をみいだし、2度のヴェトナム戦争を体験し、国 防総省に勤務し、世界中の指導者たちと交友関係を結ぶよ うになり、軍で最高位の統合参謀本部議長に任命され、湾 岸戦争を指揮するまでをえがいています。アフロ・アメリ カンの模範となるべく努力をかさね、アメリカン・ドリー ムを実現するまでの、自分がたどってきた道を、若者たち に知らせ、「私を踏み台にして先へすすんでくれ」という 力強いメッセージをおくっています。 職業軍人として35年3カ月と21日を生きてきた人物の 自伝の、最終章のタイトルは「武器よさらば」です。これ には、職業軍人として生きながら軍縮をすすめてきたパウ エルの、軍に対するかんがえかたや、アメリカという国に おける、文民統制による軍隊のありかたが表現されていま す。印象的なエピソードを、いくつか引用してみます。 <空爆目標からはずされたバグダードのサダムの巨大な像 > 最初のエピソードは、1991年の湾岸戦争の準備段階で のバグダードの空爆目標をめぐっての国防総省内での議論 です。 「われわれが空爆の目標を最終的に決定するには、国防総 省内の高等法務局の許可を得なければならない。計画段階 では、イラクが対イラン8年戦争の勝利を記念して建てた 戦勝記念アーチと、サダムの巨大な像もリストに含まれて いた。どちらもバグダード市内にある。私の法律顧問をつ とめるフレッド・グリーン大佐が部下を引き連れて私のと ころへやってきて、リストに目を通してくれた。すると、 前述のアーチとサダム像だけはまずいという。 「なぜまずいんだ」 「軍事的な意味あいがまったくない文化遺産を爆撃するこ とになります」 「文化遺産だって。ちょっと待ってくれ。サダムも標的の うちだと思い知らせるための作戦だぞ」 「それはできません、将軍。アメリカがリンカン記念堂や ワシントン記念塔を爆撃されるのと同じことです。戦争 行為を司る国際法に触れるのです」と、 グリーン大佐が見解を述べた。結局、アーチとサダム像は 攻撃リストからはずされた。」 今回、アメリカ軍は、念願のサダム像を破壊したわけです が、国際法違反という問題をどのようにクリアしたのか、 興味深いところです。 ジャンル別一覧
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